にごらない

超雑記

もうひとつの"一番長い日" - 中尾敏之五段、引退のかかる一戦

 名人戦の挑戦者が決まるA級順位戦の最終日は「将棋界の一番長い日」と呼ばれます。*1


 今年の「将棋界の一番長い日」は前代未聞の6人プレーオフ決定という結果に終わり、そのプレーオフも羽生竜王の驚異的な内容での挑戦権獲得で幕を閉じましたが、今年度の将棋の公式戦がすべて終わったわけではありません。中尾敏之五段(43)にとっては、今日3月27日が「棋士人生の一番長い日」かつ「棋士人生最後の日」になるかもしれないのです。今年度最後の対局、負ければ強制引退です。

棋士には引退がある

 昨年は加藤一二三九段の引退が大きく報じられました。棋士の多くは自ら引退を宣言*2します。しかし加藤一二三九段のケースにより、宣言する以外にも「辞めさせられる」というパターンがあるのか、と多くの人が思われたのではないでしょうか。


 細かい話は詳しい将棋記事に任せて割愛します。たとえばこんな匿名ダイアリーをご覧ください。

anond.hatelabo.jp


 ざっくり説明すると、10年前、中尾五段は引退にリーチがかかるフリークラスへ落ちました。そこは10年で脱出しないと強制引退となる場所です。で、脱出条件を満たせないまま、10年が経とうとしています。


 現在の中尾五段の置かれている立場は、年度最終局の次局に勝てばC級2組復帰、負ければ引退です。


 そんな中尾五段の去就は、先述の匿名ダイアリーのように将棋ファンから熱い視線を集めています。実はこの引退条件、プロ棋士たちにとり決して厳しいものではありません。大抵の棋士は50代あたりからぽつぽつと自主引退を決めたり強制引退となったりしますが、大体は60歳か65歳の定年(条件により異なる)まで現役を全うします。43歳という若さで強制引退となる棋士は極めて稀なのです。

戦後最長の熱戦、421手の持将棋

 2/28に行われた竜王戦6組予選、中尾五段は、ある記録を作りました。それは「戦後最長手数の対局」です。


 この対局、中尾五段は「年度内にあと2勝で強制引退回避」という状態で迎えています。午前二時まで繰り広げられた死闘は持将棋(引き分け)に。将棋というゲームのプロ棋士平均手数が100-130手という中で、421手の大熱戦でした。これも中尾五段劣勢から意地の持将棋持ち込みでした。


 すぐに行われた指し直しの一局はしかし、午前五時、対戦相手の牧野光則五段が勝利しました。この一戦で中尾五段の窮状が広く知られることにもなり、注目度が高まります。


余談。こちらは手数ではなく時間の史上最長記録で、23時間15分かかった2004年B級2組中川行方戦の様子。山登り趣味の肉体派を前面に押し出した白シャツ姿の中川七段(当時)と、無精髭が生えてイケメン度がマシマシになってしまった行方七段(当時)の様子。完全に日が昇った午前九時の終局でした。


見えない引退ライン、ねじ込まれた次戦

 牧野五段戦に破れたことで、再度「あと2勝」を目指さねばならなくなった中尾五段。この時点で予定されていた中尾五段の対局は、ファンから見えていたものは3/22棋王戦予選3回戦の一局。ファンからは見えていない*3NHK杯予選の対局がおそらくどこかで一局。


 その見えていた棋王戦予選の対日浦市郎八段戦に勝利しましたが、将棋連盟から「引退回避」のアナウンスはありませんでした。


 と、いうことは、見えていないNHK杯予選トーナメントは、もし勝っていれば日浦八段戦と併せて2勝となるはずの中尾五段、どうも負けているらしい。*4


 ここで急遽将棋連盟の手合係が中尾五段の対局を年度内にねじ込みます。なにせここでC級2組に復帰できれば、制度上は少なくとも引退まで13年の猶予ができるのです。一度プロ棋士になった人材はなるべく現役を続けられるように、という行動原理で将棋連盟は動きます。

最終局、3/27棋王戦予選4回戦:対青嶋未来五段戦

 「最終局」が「年度最終局」になるか「プロ棋士最終局」となるか、対青嶋五段戦の結果にかかっています。多くのファンが「よりによってこんなところで青嶋五段か……」とため息をつきました。


 23歳の青嶋五段は先日の藤井六段と同じくC級2組の一期抜け記録を持ち、また2016年度の勝率一位と連勝数一位も獲得。変わった経歴としては名門麻布中高を出てチェスの早打ち日本一にもなったことのある、将来を嘱望される若手棋士です。


 中尾五段は昨年末の朝日杯において佐藤康光九段を下すジャイアントキリングを果たしています。今回の相手は同じ五段、勝ったとしてジャイアントキリングと言うのは中尾五段に失礼かもしれませんが、見守る側としてはそれくらいの気持ちではらはらする所存です。

今泉健司四段との因縁

 中尾五段がプロ入りした奨励会の第23回三段リーグ(1998年)は、当時在籍していた今泉健司四段が次点で涙を飲んだ期でもあります。現在の規定だと今泉三段(当時)25歳、この次点でプロ入りできてたんですよね……。


 その後、今泉三段(当時)は奨励会退会→8年後再入会→2年後再び退会→介護士などの職を経て6年後プロ編入試験により41歳にしてプロ棋士へ、という異例中の異例の道を歩みます。しかも、まずフリークラスからのスタートということで、10年経っても上に行けなければ強制引退という立場は中尾五段と変わりませんでした。今泉四段はプロ棋士になった2015年の翌年、2016年末にC級2組への昇級、フリークラス脱出を決めています。


 今泉四段は経歴が異色すぎて、中尾五段を「因縁のある棋士」とするならば棋界は因縁の棋士だらけになるようなかたです。それにしてもこの運命の交錯ぶり。


 プロの棋士になるような人間は、全員が天才的なことには間違いありません。少なくとも奨励会の三段リーグを抜けてプロになった時点を並べれば、全員が差のない完膚なきまでの才能の持ち主である、という世界です。しかし天才の人生にも浮き沈みはあるし、天才の才能にも濃淡がある。


 今回のような一局が気になるのは、天才たちの1人がほんの少しだけ凡人に近付いてくる錯覚を持てるのも一因なのかなと思います。並みのアマチュアと中尾五段が対戦すれば100回やって100回中尾五段が勝つような、十分に神の世界の住人なんですけどね。

なぜラストチャンスの年に調子が上がるのか

 40代で強制引退の憂き目に遭う棋士は稀、と書きましたが、数年前には熊坂学五段が37歳で強制引退になっています。ものすごくレアなケースなので匿名掲示板で10年以上にわたり見守られ、熊坂スレは大抵の棋士を寄せ付けないpart数を誇っています。


 中尾五段と熊坂五段の共通点、それは「強制引退がかかる年に絶好調となる」です。正直2人ともこの強制引退がかかった年のような成績をコンスタントに残していればごくごく一般的なプロ棋士として生涯を全うできます。「人間て……人間て……!」と慟哭する事案です。私を含め追い込まれないとやらない族すべての人類が身につまされます。みんな、がんばろうな……。



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サムネを忘れていたためとってつけたような猫画像を置いていきます

*1:「将棋界の一番長い日」の元の言葉は「棋士の一番長い日」だった | 将棋ペンクラブログ

*2:フリークラス転出宣言を含め

*3:NHK杯はテレビでの放映日の関係から、公式戦として対局が行われていても結果がしばらく伏せられます

*4:第68回NHK杯戦 <予 選> 佐藤慎一五段と当たり予選一回戦を敗退していたことが後にわかりました