習慣化してる大半の人には気持ち悪い話だと思うので、とりあえず近所の花を置いときますね。
明日突然ひさしぶりに家族以外の人と会うことになり、三週間ぶりくらいにまともなスキンケアをしました。と書いてスキンケアという言葉が既にこっぱずかしい。スキンをケアだよ。自分がスキンケアという言葉を使っていいと思えない。なんせここんとこ日焼け止めはおろか化粧水すら面倒で使っていなかった。日頃鏡も見ないので気が付かなかったけどほんのり黒くなってた。灼けるよねそりゃね。しかしあまりに陽に当たらないゆえの気持ち悪い青白さだったので、むしろ健康的に見えるという。何が幸いするのか世の中わかりません。
顔を洗ったり風呂に入ったり歯を磨いたりという一連の作業が未だに億劫でならない。この齢になっても全然習慣づかない。習慣づかないというのは恐ろしいことだ。なんせ他の人が呼吸をするのと同じように日々なにげなくしていることにも決断や作業手順の思考が必要になるからだ。いちいちもんのすごく気力と体力を消費するわけです。ばかじゃないの。ばかだと思います。こういうことは小さい時に親が習慣づけておくべき。いくつ子供に習慣を身に付けさせるかでその子の人生がハードモードになるかイージーモードになるか決まります。
考えれば考えるほど私は放置子だったのだという残念な認識を新たにせざるをえません。放置されて育っても自分で必要性に気付くと思います? 私は相当後になるまで気付きませんでした。というか未だに習慣づいてないんだから身だしなみ系はまだ気付いてないとも言える。小さい頃に習慣付いて然るべきものの中では「隣人に挨拶をする」「職場や学校で笑顔だとなおよし」のような、それをすると確実に事が円滑に進むと思われる社会的ルールのほうが飲み込みやすいです。昔はほんっとに挨拶できない子でした。必要性もよくわからなかった上にそれで親に注意された記憶もないのだよな。ああ放置子よ。
朝に顔を洗うか洗わないかで目に見えて社会で生きやすくなる……とかないものな。その人が顔を洗ったか洗ってこなかったかを考えたこともないし、目の前の同僚が洗ってこなかったとしてなにか支障があるようにも思えない。こうして私は明日も顔を洗う/洗わないで大きな決断を迫られるんだと思います。もうそれだけで一日の決断リソースだいぶ使っちゃうよ。あ、そうして自分をすり減らさないようにみんな洗顔を自動化させてるのか……。